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sub4に挑む日々 in NY

30代のへなちょこランナーyamakoが、無謀にもsub4に挑戦する日々 in NY

いぶすき菜の花マラソン完走記② 魅惑のエイド街道を駆け抜ける。あの名物キャラも!

今日は。横浜の夫の実家にきております。新年早々、夫を置いて早々に帰国し鹿児島までマラソンに行ったことで『うちの嫁、自由過ぎではないか…』と波紋を広げていましたが、お土産の薩摩揚げと唐芋レアケーキ、フェスティバロを渡してなんとか誤魔化しておきました。義実家とは長い付き合いになりますから、無理はいけません。私がちょいちょいと一人放浪の旅に出ることにも徐々に慣れていただくしかないでしょう。


さて、10km過ぎからの続きです。

12km付近池田湖では、薩摩富士の二つ名をとる開聞岳も湖畔むこうに姿を表します。そしてそれらを縁取る菜の花。1月でも日中は12〜15度まで上がる暖かな指宿ですが、さすがに菜の花本来の時期には少し早く、コース沿いに広がる菜の花は大会実行委員会や地元の有志が意図的に植えてくださっていると聞いたことがあります。超私的な話で申し訳ありませんが、私の本名には『菜』の字が使われており、実際父は春に産まれた娘を菜の花にちなみ、名付けたという。誰にも言いませんでしたが、密かに『わたしのためのような(言い切りはしません)大会』とにやにや走っていました。


レース当日は公式で9:00のスタート時点で12.5度。日が上るに連れて、予想外に暑くなり、スタートからすぐに横のE氏は汗だくの様子。着込んでいたウィンドブレーカーを脱ぎアームウォーマーを外していましたが、池田湖沿いは水辺のせいか急に空気がひんやりしたように思いました。たったの3年前といえども、人の記憶などあやふやもので、2人とも『こんなに景色がよかったですかね!』『凄いな〜これは!』と菜の花マラソンへの再挑戦を決断した互いを褒めちぎりです。この辺りの憎めないお調子者ぶりが、E氏と私の間に年齢、地位、性別を超えた友情を結んだ要因があると思われます。

ここでスタート直後から我慢していた私の膀胱が限界に達し、トイレに行くことに。『ああ、氷点下スタートのNYCMですら一度もトイレに行かなかったのに…』トイレは8km過ぎ、9km過ぎからありましたが、一応併走のE氏に気を使って我慢していました。それでももう無理と判断して『Eさん、トイレ行きたい』と出来るだけ無邪気に言ってみた(笑)幸い池田湖のトイレはまだ空いていて殆ど並ばず、タイムロスも3分位だったと思います。(同じく膀胱に不安を抱えてスタートしたKさんによると、後続になればなるほど、ランナーが増え、トイレも20分とか並んだそうです、男性は次々と茂みに飛び込んでいたそうな)

さ、トイレで膀胱の虜状態からも脱し、この辺りから日本有数、魅惑のエイド街道が始まります。そして私の食い意地メモリーが本格発揮されるのです。風景の良さや名所については記憶が曖昧になっていたのですが、飲み食いにのみ発揮される私のメモリーが3年前の記憶を呼び起こします。『Eさん、この坂上がると豚汁だよ!』『次は地元の茶業組合のやってる緑茶と黒糖もあるはず』次々に私のメモリー通りに現れるエイドにE氏も驚いており『すごいな、お前…』と。前職時代、金融業界にいた私は秘書などをしており、このメモリーは会食予約やお土産のチョイスに存分に発揮されていたのです。Eさん、日本に本帰国したら貴方の秘書に雇ってください!分野がかなり限定されますが役に立つこともたまにあります!!(就職活動)

15km〜30kmは公設私設エイドが絶え間無く設置され、エイドにはよらない、ゴールしてから‼︎と決意している私にとっては勝負ゾーンです。公設では水、スポーツドリンク(アサヒH2O)、氷砂糖、バナナと蒸かし芋などが用意されていました。私設は本当にバラエティ豊か。思いつくままに書いてみても、豚汁、黒糖、干物、漬物、空豆スープ、みかん、ぜんざい、焼きもち、綿あめ(食べやすいように一人分ずつ袋に入れてくれる)鰹の解体と焼酎なんかもありました。

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※公式FBより拝借

テントやブース以外にも沿道に立って応援する地元の方々がアメやチョコレート、おにぎり、自家栽培のトマトなどを手渡してくれるのです。『指宿の皆さん、本当にありがとう!今は戴けないけれどこのご親切は忘れません。帰ったら仲間に熱烈に菜の花マラソンのよさを語ってきかせます。大した影響力のない当ブログでも紹介します!』

本当に日本一の魅惑のエイド街道。完走ではなく完歩目指して参加する方が多いのも納得です。素晴らしい景色と美味しいおもてなし、走らずとも充分に楽しめますもの。

さて、私はなんとかエイドの誘惑と戦っていたのですが、隣のE氏は何だかきょろきょろし出しているのです、明らかに様子に落ち着きがない(笑)遂には『この辺りで胃に何か入れたい』と。貴方、ゴールまで食べないっていったじゃん!地位のあるお立場なんですから、ご自分の発言に責任をお持ちください。まあ、私もぎりぎりの戦いを繰り広げていますので、気持ちは大変に分かります。仕方がないので『ゆっくり行っていますからね、追いついてくださいよ』と20km付近のエイドに置いていくことに。まさかその時はその後ゴールまで一人旅になるとは思いもよりませんでした。

中間のラインを超えると、だいぶ脚にダメージが来ていることに気がつきます。『E氏がなかなか追いついてこないから仕方ない』と人のせいにして立ち止まり、誓いを破り禁断の豚汁(激ウマ)を口にした際には、思った以上の脚の疲労を感じていました。『これ、30km付近の脚の重さじゃね?』と。しかし容赦ないUPDOWNは続き、私を含め周りのランナーもかなり疲労してきている様子。まわりの面子もだんだん固定されてきていました。当初元気良く走っていた、運動をしているだろう若い男子たちが次々に脱落し、気がつけば走歴のありそうなおじさま、おばさま、おじいさま、おばあさまに囲まれていたのです。あとは私と同世代のランが趣味そうな女性など。まだ半分を超えて少しなのに『これは大丈夫かな、私』と不安がよぎります。まわりは明らかにタフなランナーたち。

そんな状況、27km辺りで、私を叱咤激励する人物に出会うのです。何度目かの劇坂手前、ランナーを叱責する坂おばさん現る!お、思い出しました、3年前も怒られたんだった、私。かなり遠くからでもランナーに向かって『走れー!歩くなー!登れー!!』と絶叫する声が聞こえます。彼女、大会名物坂おばさん(仮称)で毎年同じ坂の下でランナーにゲキをいれているのです。(テレビも来ていた)あまりの貫禄にランナーは次々に彼女に引き寄せられ、列をなしてハイタッチ。特に男性ランナーたちが嬉しそうに怒られに近寄っていた姿が忘れられません。私もよろよろと彼女に引き寄せられ『走れ〜!』『が、がんばります!』『よーし!』とのやり取り。実行委員会はコースMAPにこの坂おばさんのマークを入れたらいいんじゃないかと本気で思います。竹刀マークとかでさ。私は真剣に持ってるはずもない竹刀が見えたよ。。。炎のゲキを受け、後半戦突入です。


続きます。


それでは。