プロヴァンス旅行記④あの色彩が烟る場所へ in St Remy de Provence
こんにちは。
すっかり旅行ブログになっている今日この頃。
そもそも、4月に既にサブ4してるわけですし、最近のはin NYでもなければ、何事かに挑む事もなし…。
うーむ。
完全にタイトルから逸脱していますが、あと旅行記は今回を入れてあと2回書きます。
そうしたら残りの2ヶ月となったニューヨークでの日記に戻る予定です。
アルル泊の一夜が明けて、翌日、アルルからほど近い街、St Remy de Provence(サン レミ ド プロヴァンス、以下サンレミ)に向かって出発します。
そう、画家の足跡を辿る旅はまだ続いているのです。
発狂ののち、自身の希望もあって、ゴッホはアルルからこのサンレミの修道院に移ります。
当時は療養院(精神病院)として使われていた、サン ポール ド モゾール修道院。
実は、この日、「どうしても次の宿泊街のマルシェに行きたい」と熱望しており、スケジュールがかなり押していたんです。。。
プロヴァンス地方では、街ごとにマルシェが開かれており、その開催曜日はまちまち。旅行中でマルシェを見られるのは今日しかない!という状況でして。
マルシェで買う!と決めて、ハーブもマルセイユ石鹸もプロヴァンスの織物もあえて買っていないのよ〜!!
この修道院が開くのが午前9:30からで、マルシェが終わるのが大体13:00くらい。あまり時間の余裕がないのが辛いところ。むしろこの街自体をスキップしようかとも、、、
そんな愚行を犯さなくて本当に良かった…。
結果、私の1番良かった場所が、この修道院と周りに広がる風景だったから。
来訪者を迎える、ひまわりを抱えたヴァン・ゴッホ。
花々が植えられた中庭。
12世紀ロマネスク様式の中庭廻廊。
マンハッタン北端にあるメトロポリタン美術館別館、クロイスターズを彷彿とさせます。あちらの廻廊もフランスから移設されたものだし。
そして修道院の2階にはゴッホが収容されていた病室が再現されています。(彼は約1年間をこちらで過ごしています。)
狂気と正気の間を彷徨って、それでもその間に150点もの作品を描いたといいますから。。。
鉄格子の間から。
彼が見ていただろう風景が。
修道院裏の麦畑(刈り取り済)に降りてみます。
修道院の向こうに広がる糸杉や麦畑、アルピール山。ゴッホが見つめた風景が変わらないままに。
私がゴッホを敬遠していた理由が鮮やかすぎる強い色彩だったのだけれど、、本当に糸杉やオリーブの木はあの深いモスグリーンだったし、小麦はあの黄金色でした。
これはこのサンレミの地に来なければ理解できなかったこと。
このサンレミ時代の代表作が『星月夜』(ニューヨーク、MOMA蔵)。
修道院のすぐ裏手にはローマ時代の廃墟、グラハム遺跡があり、この作品は遺跡からみたサンレミの街と糸杉を描いたもの。
小一時間で修道院、遺跡、ゴッホがイーゼルを立てて絵を描いていたオリーブの林を歩いてみたけれど、なんとも言えない気持ちになりましたね。
アルルと同じ、作品の舞台なんだけれど、アルルは南欧の陽気な雰囲気の香る街でそこにゴッホが暮らしたというのに対して、サンレミはただ修道院と風景があるだけ。。。
マルシェなんてどうでもよかったから、半日くらい、風景のなかにただ居たら良かった、と今更に思います。
あの粗末なベッドだけがある部屋で、鉄格子の向こうをどんな気持ちで見ていたんでしょうね。。。
ゴッホのその後はというと、、、
サンレミからパリに戻り、郊外の街に移り住むものの、その3ヶ月後に亡くなります。
ピストルを自身に向けて、享年37歳。
自画像の感じが物凄いおじさんで、早逝したイメージではなかったんですけど、今の私と同じ様な歳だったんですね。。。
サンレミの街を後にして、旅の最終目的地に向かう途中、枯れてからからになった無数のひまわりの畑を通り、それもまたこの旅で心に残った風景でした。
…なんだかしんみり。
『ゴッホの手紙』読み返そう。
- 作者: ヴァン・ゴッホ,J.V.ゴッホ・ボンゲル,硲伊之助
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それでは。
☆追記
あ、サンルミはあのノストラダムスの生まれた街でもあります!
プロヴァンス旅行記⑤光と泉の街、Aix en Provence!
こんにちは。
いよいよ(ようやく?)旅の終着地、Aix en Provence(エクス アン プロヴァンス、以下 エクス)の旅行記⑤です。
サンレミから車を飛ばすこと小一時間、どうやらマルシェの時刻には間にあったようです。
パリでお世話になったWさんから、
とにかくエクスは光と緑が美しいの!!
と絶賛されていたエクス アン プロヴァンス。
マルシェは街の中心、ドゴール広場にて開かれていました。
こちらが街で1番大きなドゴール広場の噴水。
鮮やかなプロヴァンスの織物や、
カラフルなかごバック、
こちらはキノコの量り売り、
香辛料、スパイスのお店も!
残念ながら、沢山出店していただろう生鮮食品の店はだいぶ帰ってしまっていました。
仕方ない。プロヴァンスでも最南に位置するエクスの昼間は強い日差しに照らされているのです。食べ物はダメになってしまうことでしょう。
私は手作り石鹸のお店でラベンダーの石鹸をひとつ、あとはキッチンで使うサイズの織物をお土産に買っています。
広場にはカルーセルも。
バンドの演奏が行き交う人々をにっこりとさせてくれます。
それにしても、なんと光まばゆい街なのでしょう!
Wさんが、
ホント、何にもしなくてもいいの。ただオープンカフェでroséを飲んでいるだけでうっとりと幸せになれるの。
そう話していただけのことはあります。
そしてエクスは泉の街。
ミラボー通りの苔生した噴水。
4頭のイルカの噴水。
街の至る所に、噴水、噴水、噴水!!
実際、この街の名は、ローマの将軍セクスチウスが湧き水の豊富なこの地を「セクスチウスの水(アクア セクスチアエ)」と呼んだことに由来するとか。
そしてエクスといえば、近代絵画の父セザンヌの故郷であり、彼が死の直前まで絵を描き続けた場所なのです。
ゴッホ以上に浅い知識で大変に申し訳ないのですが(しかも特に思い入れもない)せっかくなので郊外にあるセザンヌのアトリエに行ってきました。
アトリエでは、フランス語、英語でガイドをしてもらうことができ、そちらは予約制。私たちはエクスの駅前のインフォメーションでチケットを購入しがてら予約をいれてもらっています。ただの見学なら特に予約はいりません。特に英語のは1日1回、しかも夕方の5時しかありませんので。。。
アトリエ前の中庭に佇む。
アトリエには彼が題材にしていた静物がそのままに。
2面にある窓はどちらも大きく取られていて、光をたっぷりと取り入れるようになっていました。
ガイドさんの解説を聴いていたわけですが、この大きく取られた窓が曲者で…。なんか内部は温室みたいになってきているんですよ…。
ものが傷むのか部屋が傷むのかで、冷房もなし。外は35度近くあったと思われます。
そしてガイドさん…。心底、セザンヌが好きなんだね…。
ひとつひとつのオブジェについて、じっくり説明してくれちゃうので、時間が延々とかかる。
…私、遂には熱中症気味になり、ふらふらと壁沿いにあったスツールに座り込む始末でした…で、解説を全部聞かないで立ち去る…。。。
全く、水が豊かなこの泉の街で、熱中症になったら洒落にならんわね。
アトリエから街に戻る際に見た眺め。アトリエは高台にあるため、セザンヌが描いたサント・ヴィクトワール山がよく見えていました。
この故郷であるエクスをこよなく愛していたというセザンヌ。
くらくらしていたんですけど、ガイドさんの話で印象的だったのが、
「ここ(エクスのこと)で生まれたなら、もうどうしようもない。他は全然たいしたことはない」
とまで語っていたというセザンヌの言葉。
そんな彼の足跡をエクスにやってきたファンたちが辿れるように、街中には道標となるエンブレムがはめ込まれているんですよ。
こちらを辿りながら、生家や彼が通っていたというカフェなんかを見つけることが出来ます。
セザンヌが通ったという、ミラボー通りにあるカフェ ドゥ ギャルソン。
最終日、夫と別れた後にぼけっとお茶をしました。彼はマルセイユからロンドン経由(そもそも仕事でヨーロッパに来ていたので)でNYに帰るのです。
そして私はTGVでシャルルドゴール空港に。
エクスのTGV駅も街から少し離れたところにあり、シャトルバスでTGV駅に向かいます。
だいたい10〜15分くらい。
このバスの車中から、セザンヌの愛したサント・ヴィクトワール山が綺麗に見えて、
「ここで生まれたならしかたない。ほかは全然たいしたことない」
その言葉を思い出していました。
不可抗力な、抗いがたい魅力。。。
エクスもそうですが、プロヴァンス地方全体にそれはいえるのかも、と。それほど美しいところでした。
さて、これでプロヴァンス旅行記はおしまい。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
海外→海外の気安さで、いつもの如くに出掛けてしまいましたが、やっぱり遠い場所です。日本からならば、二の足を踏んでいたことでしょうね。まずパリに行くのが遠いんだもの。。。
夫の次回の駐在先がヨーロッパならいいのに、と勝手なことを思いながら、またこの地には足を運ぶ予感がしています。
それでは。